たとえ嵐が来ないとしても

史上最大の台風が海岸沿いの町を襲った。
ミゲルは大都会へ逃げる決意を固め、再び嵐が近づく前に母ノーマと愛するアンドレアを見つけ出す。

監督 カルロ・フランシスコ・マナタッド
出演 ダニエル・パディリア、ランス・リフォル、チャロ・サントス
原題:Kun Maupay Man It Panahon
英題:Whether the Weather Is Fine
2021年/フィリピン/104分/ワライ語/字幕:日本語、英語
配給:Foggy
助成:国際交流基金マニラ日本文化センター
公式サイト

2013年、史上最大の被害を残した台風ハイエンと残された人びとの希望の物語

2013年11月8日、観測史上最強の台風がフィリピン東部に上陸し、私の故郷であるタクロバンの大部分が破壊された。
だから私は、台風の余波を題材にした映画を作ることにした。息子と母親、そして彼らのコミュニティの物語を通して、私自身の人生と故郷が破壊された奇妙な軌跡をたどる。観客が登場人物の意識と生存への闘いに没頭できるよう、筋書きは意図的に最小限に抑えた。理由もなく自然災害に多くを奪われた無意味さの果てに、登場人物たちは否応なしに自分たちの正義感を失っていく。生き残るための絶望的な闘いの中で、人間性や道徳観は侵食され、自分を救うためには他者を滅ぼさなければならない。誰も無垢ではいられないのだ。
不条理な状況にもかかわらず、この映画は決して空想的ではなく、現実に根ざしている。不条理とシュールなタッチの表現、そしてノアの方舟を彷彿とさせる、地獄からようやく出ようとする人々は、登場人物たちが経験している混乱と無秩序の感覚を呼び起こすために、疎外感を演出することを意図している。この映画は人間対自然の奇妙な関係をバランスよく描いている。人間は自然を破壊し、自然はそれに反応する。
自然は人間を破壊し、人間は苦しむが、破壊の間に自然は人間を育て、その逆もまた然りである。
この映画はまた、信仰がいかに変化に影響を与えるか、変化する可能性があるか、不条理で、愚かで、芝居がかっていて、ヒステリックかもしれないが、信仰がいかに生き残ることに寄与するかを大いに検証している。信仰は、登場人物の超越の形、純粋な回復力への意欲、そして間違いなく誰もが生き残ろうとする意志につながる。
『たとえ嵐が来ないとしても』もまた、フィリピン映画界で代表的ではない言語であるワライ語に場所と声を与えている。このような露出の欠如は、ワライ語の文化的発展と経済的進歩の両方が、国の発展から大きく遅れをとっていることを反映している。
この映画は、都市生活のトラブルや不道徳に悩まされながらも、道徳主義的な偏狭な信仰や迷信の体系に凝り固まった、タクロバンのような発展途上の都市部の地域的な複雑さを詳らかにしている。
『たとえ嵐が来ないとしても』は、私たちが今の時代に議論することが重要だと考える意識と事件を表現している。この映画を通して、壊滅的な被害が "コミュニティ "を変えただけでなく、人間性全体を変えたということを理解することができると信じている。そして最終的に、愛、夢、そしてサバイバルの本質を定義するのだ。

ー Story ー
2013年、超大型台風ハイエンがフィリピンを襲った。後にフィリピン災害史上最大級とされるその台風は、レイテ島にある町タクロバンを壊滅に追いやった。ミゲルは幸運にも母親や恋人と再会できたが、父親は行方不明になってしまう。しかも追い打ちをかけるように再び嵐が迫っているとの情報が入る。三人は嵐を避けるため船に乗ろうと港を目指すが、生き残った者達での食糧の奪い合いや、神への信仰を巡って喧嘩が勃発するなどのトラブルもあり、港には容易にたどり着けない。それでも何とか港へ向かうがそんな中、恋人が救済を求める人々によって女神に祭り上げられ連れ去られてしまう。そのうえ母親も、父親の捜索に向かうと言ってミゲルの元からいなくなる。船の出航が迫るなか、母親とも恋人とも離れ離れになったミゲルの運命は―

舞 台 挨 拶
9/21(土)上映後
登壇者|カルロ・フランシスコ・マナタッド 監督

- 開催終了しました -

上映期間
2024/9/21(土)~10/4(金)

- 上映終了しました -

料金
一般1,900円
シニア1,300円
専門・大学生1,000円
中学生・高校生1,000円
小学生以下700円
会員1,100円
★入場システム、サービスデー・その他割引