津島 -福島は語る・第二章-
2023年 / 日本 / 187分 / リガード 配給協力・宣伝 / 公式サイト
監督・撮影・編集・製作土井敏邦
整音藤口諒太
音楽李政美(歌・作曲)、武藤類子(作詞)
全国共通券1,600円【公開前日まで劇場窓口にて販売】
帰還困難区域に指定された故郷・津島
100年は帰れない故郷の姿を100年先につなぐ
災禍の時代を共に生きる私たちに託された
圧巻の証言ドキュメンタリー
浪江町津島は福島県の東部、阿武隈山系の山々に囲まれた人口約1400人の平穏な山村でした。福島第一原発から北西に30キロも離れているにもかかわらず、2011年3月11日の事故直後に大量の放射性物質が降り注ぎ、地域の大部分が「帰還困難区域」に指定されたまま、現在も多くの住民が帰れずにいます。
故郷を離れ10年以上を経た今も、人々の心の中には津島での日々がありました。貧しかった開拓時代の記憶、地域コミュニティと共にあった暮らし、綿々と受け継がれてきた伝統文化、今は亡き家族との思い出…。
「100年は帰れない」と言われた故郷・津島の歴史と、そこで生きてきた人々の記憶と感情を映像化したのは、『福島は語る』(2018年)の土井敏邦監督。裁判記録「ふるさとを返せ 津島原発訴訟 原告意見陳述集」に記された住民たちの言葉に衝撃を受けた土井監督は、「この声を映像で記録したい」と原告の元を訪ね歩き、10ヶ月にわたるインタビューを敢行。その中には、避難先で起こった子どもたちへの差別といじめについての証言もありました。
総勢18名による、全9章、3時間を超える圧巻の語りの数々。
その聞き手となるのは、災禍の時代を共に生きる私たち一人ひとりです。
津島について
福島県浪江町津島地区は、阿武隈山地の東斜面に位置する。面積は95.5km2で山手線の内側の約1.5倍。住民約450世帯・1,400人(2011年3月の震災直前)が暮らす平穏な山村だった。
しかし原発事故直後の風向きで、原発から北西に約30キロも離れた津島に、大量の放射性物質が降り注ぎ、高濃度の放射能に汚染された。事故から4日後に、津島の全住民に避難指示が出され、住民は福島県内外へ避難を余儀なくされた。
その後「帰還困難区域」に指定され、12年経った2023年3月に一部解除されたが、他の大部分の区域は、まだ帰れないままである。
地域住民は自然溢れる環境の中、互いに協力して受け継がれてきた歴史や伝統、文化を大切に、地域に根付いて生活し、沢山の年長行事に楽しみを見いだし、生きがいを感じて暮らしてきた。しかし、原発事故はこれらの一切を、根こそぎ奪い去った。
2015年9月に住民の半数、約700人が「ふるさとを返せ!津島原発訴訟団」を結成して福島地方裁判所郡山(こおりやま)支部に提訴、補償と原状回復を求めて闘っている。
監督メッセージ
「津島の記録映画を作りたい」と私を駆り立てたのは、一冊の裁判記録だった。そこには、32人の原告たちが裁判所で陳述した、家族の歴史、原発事故による家族と人の心の破壊、失った故郷への深い想いが切々と綴られていた。「あの原発事故は住民の人生をこれほどまでに破壊していたのか」と、私は強い衝撃を受けた。「この陳述集の声を映像で記録したい」――それが映画「津島」制作の原点である。
2021年春から、私は陳述集に登場する原告たちを訪ね歩き始めた。横浜から福島まで車で往復し車中泊を繰り返す、ほぼ10カ月がかりのインタビューの旅だった。
“津島”は、人口約1400人の問題に終わらない。「多数派の幸福、安全、快適さのために少数派を犠牲にする」在り方への、津島住民の“異議申し立て”であり“抵抗”だともいえる。そういう意味で、“津島の存在と闘い”は小さな一地域の問題ではなく、日本と世界に通底する“普遍的なテーマ”を私たちに問いかけていると私は思う。
「『フクシマは終わったこと、なかったこと』にされてたまるか!」
映画の中で涙ながらに語る証言者たちの声の後ろに、そんな悲痛な叫び声を私は聞いてしまうのである。
舞台挨拶
日 時|3/10(日)12:50の回上映後
登壇者|土井敏邦 監督
- 開催終了しました -
- 上映終了しました -
料金
一般 | 2,200円 |
シニア | 2,000円 |
専門・大学生 | 1,800円 |
中学生・高校生 | 1,800円 |
小学生以下 | 1,800円 |
会員 | 1,800円 |
障がい者割 | 1,800円 |
淀川区民割 ※窓口でのみ受付可 | 2,000円 |
水曜サービスデー | 2,000円 |
月金ペア割 | お二人で4,000円 |
※劇場招待券、サポート鑑賞券、年間パスポートは使用不可 |