第153回 "春やのに…"


 松田優作の死で始まった平成が、ショーケンこと萩原健一の死で、終わりを迎えようとしている。それにしても、新元号をエイプリルフールに発表するだなんて、この先も不穏な予感しかしないのだけれど……。

 かつて世界中を温かな笑いで包んだ、名コンビのローレル&ハーディ。実在した稀代のエンターテイナーの光と影を、最後となった英国ツアーに焦点を当て、老体にムチ打ち奮闘する彼らの一筋縄ではいかない関係性を通して情感豊かに綴った『僕たちのラストステージ』。時代に取り残され人気も低迷する一方の中で、"幻の新作映画"を妄想し続けるローレルの悲哀を、生粋のコメディアン特有のギラつき過剰を今回は封印し、共感込めて体現するスティーヴ・クーガンと、ハーディ当人に似せるべくファットスーツに身を包み、"リアル・マシュマロマン"のごとき超ぽっちゃり体形に変貌し、豊かな身体表現にて難役を演じきったジョン・C・ライリー。タイプは異なるものの、互いへのリスペクトを惜しまぬ実力派ふたりの、打てば響く絶妙のコンビネーションによって、言葉にせずとも理解し合える、長年連れ添ったプロフェッショナル同士ならではの堂々たるコンビ愛が、感動的にスクリーンに映し出されている。

 病的なまでに自身を清めることでギリギリ平静を保つ女性と、ひと知れず繰り返す自傷行為によって生の手応えを実感しようともがく女性。互いに傷つけながらも執着する、共依存のごときふたりの狭間で、複雑な心情に引き裂かれる男友だちや、刹那的に生きる孤独な青年らをも巻き込む、男女4人のやるせない絡み合いを見つめる『空の瞳とカタツムリ』。この印象的なタイトルは、9.11の2日前に53歳の若さで世を去った、相米慎二監督の遺作となってしまった『風花』(00)の、題名変更案の最終候補まで残ったものという。脚本家としての顔ももつ斎藤久志監督は、名脚本家の父・荒井晴彦譲りの才能で映画デビューを飾る荒井美早が紡ぎ出す、時に観念的にも聴こえる台詞の数々を繊細に吟味し、心と身体をさらけ出してカメラの前に立ち続けた果敢な役者陣を通して、ナチュラルに息づかせる。否応なく溢れ出す自意識と対峙しなければ前に進めないからこそ、何かとしんどい人生にも挑み続ける意義があることを、まとわりつく呪縛から解き放たれたような彼女たちの佇まいが、清々しく物語る。

 『永遠のこどもたち』(07)など、スペインの鬼才J・Aバヨナ監督とのタッグでも知られる脚本家のセルヒオ・G・サンチェスが、バヨナの製作で監督デビューを果たした『マローボーン家の掟』。母亡き後、外界から隔絶されたように森の中に佇む屋敷で、"何か"の気配に怯えつつ、責任感の強い長男を中心に、肩を寄せ合い暮らす4人の兄妹。ほのかな恋も芽生え、ささやかな日常の中の小さな幸せを噛みしめながら過ごす健気な彼らに、逃れようのない忌まわしい過去が立ちはだかる。過酷な現実に押しつぶされそうな子どもたちの、潜在的な恐怖の象徴であり、時には生きるための拠りどころにもなり得る、見えずとも感じる得体の知れないものへの畏怖の念が、グロテスクさと美しさが混在する独特の世界観を支えている。おどろおどろしい雰囲気すら漂う邦題とは裏腹に、忘れたくても忘れられない記憶と向き合いながら、かけがえのない存在へと想いを馳せたくなる、趣深いダーク・ファンタジーだ。

 ベルリンの壁崩壊後の、旧東ドイツの大型スーパーマーケットにて、様々な想いを胸に秘めて働くひとたちの悲喜こもごもを、ユーモアとペーソスを交えて細やかにスケッチした『希望の灯り』。自然光も射さない無機質な空間で繰り広げられる、何気ないルーティンワークを捉えたショットも、流麗なカメラワークやセンスの光る抜群の選曲によって、心躍るような名シーンへと生まれ変わる。出演作が相次ぐ"ドイツのホアキン・フェニックス"ことフランツ・ロゴフスキが、タトゥーを仕事着で隠しつつ、無軌道に振舞っていた厄介な過去に幾度となく引き戻されそうになりながら、さりげなく親身に接してくれる上司らに後押しされ、やっと見つけた愛のために真っ当に生きようとする不器用な前科者を好演。押し寄せる社会の変化の波に呑まれ、築いてきた価値観や信条が揺るがされそうになっても、大切なものを変わらず慈しみ続けることのできるひとたちに、深い愛情を込めてエールを送る逸品だ。

(映画ライター 服部香穂里)


第152回 "ひとり上手と呼ばれて"


 戦死した夫との夢を叶えるべく、小さな海辺の町のボロ屋を思い切って買い取り、書店経営へと乗り出す未亡人の孤軍奮闘を描く『マイ・ブック・ショップ』。メガホンをとるのは、『死ぬまでにしたい10のこと』(03)、『エレジー』(08)など、逆境に直面しても自分の意志で立ち向かう凛とした女性像を、共感を込めて描出してきたイザベル・コイシェ監督。よそ者の新入りに動揺し、閉鎖的な町に不穏な気配が漂う中、ひとり屋敷に引きこもる老紳士に後押しされ、自身の感性で選んだユニークな品揃えの本屋を切り盛りする女店主の華やぎが、生き生きと捉えられていく。実力派女優エミリー・モーティマーと、時を重ねるごとに演技や魅力に磨きのかかるビル・ナイという、『エレジー』のベン・キングズレー&ペネロペ・クルスもびっくりの年の離れた男女が、読書をこよなく好む同志愛を超えて、友情とも恋愛とも異なるかけがえのない関係性を育む様も感動的な、味わい深い逸品だ。

 『ムーンライト』(16)でアカデミー賞作品賞に輝いたバリー・ジェンキンス監督が、70年代のニューヨークのハーレムを舞台に、悲運に引き裂かれそうになりながらも、揺らぐことのないあるカップルの愛のかたちを、瑞々しく映し出す『ビール・ストリートの恋人たち』。差別主義者の白人警官に目をつけられ、無実の罪を着せられた幼なじみとの子を宿す19歳のティッシュは、彼を留置所から出すべく家族や仲間と奔走しながら、女手ひとつで子育てに奮闘する。面会室のガラスで隔てられたふたりに湧き起こる愛情は、歳月を経ても冷めるどころか熱気を増し、理不尽な試練にも負けず、前に進み続けるための活力となる。そんな彼女たちの不屈のポジティブさや子どもの健やかな成長が、悲痛な物語に爽やかな清涼感をもたらし、娘のためにある行動に出る母親のたくましさと脆さとを、内省的な演技で見事に表現したレジーナ・キングが、発表されたばかりのアカデミー賞など数々の演技賞を総なめした。

 やる気みなぎる新米黒人刑事が、エキセントリックな思いつきから、『ミシシッピー・バーニング』(88)などでも描かれた白人至上主義団体"KKK"に潜入捜査を試みる。フィクションであれば、"あり得ね〜っ!"と大ブーイングが起きそうな驚愕の実話を、鬼才スパイク・リー監督が緩急自在の演出手腕で、ユーモラスかつスリリングに映画化した『ブラック・クランズマン』。表向きの仮の姿は白人の同僚に任せて、自身は電話のみに専念することで、ふたりでひとりを演じきろうとする大胆極まりない計画。毛色の違う後輩の勢いに巻き込まれ、過激な思想に染まった団員らに同調するふりを見せ続けるうちに、ユダヤ人としてのアイデンティティをも再認識していく相棒刑事を、乗りに乗っているアダム・ドライバーが、深刻ぶりすぎることなく飄々と巧演。誰もが自分を見失い、誰かを貶めることに刹那的な快楽を見出す危険性をはらむ、現在にも通じる排他的な風潮に、力強くNOを突きつける快作だ。

 『勝手にふるえてろ』(17)のヒットも記憶に新しい大九明子監督が、婚期を逃しかけているOLの一念発起を、コミカルなほどリアルに活写する『美人が婚活してみたら』。"高嶺の花"感を醸し出す容姿が災いしてか、気づけば既婚者ばかりが火遊び気分で寄ってくる男運のない32歳のWEBデザイナーが、"死にたい……"と無意識に漏れたつぶやきに我ながらおののき、婚活を本格化させる。少々すっとぼけてはいるが誠実で結婚に意欲的な商社マンと、いかにも恋愛慣れしている歯科医という対照的な男性の間で揺れながら、過去の恋愛や自身の浅はかさをも見つめなおしていくヒロインを、"美人"にしては親しみやすい黒川芽以が茶目っ気たっぷりに好演。既婚だが子どものいない親友役・臼田あさ美との、どちらを選んでも茨の道な"女もつらいよ"な本音を互いに炸裂させるバトルシーンは、毒の効能を知り尽くす大九監督の真骨頂。同世代の女性たちの心の声を黒川がアンニュイかつポップなトーンで代弁するエンディング曲が、幸せのありようは千差万別であることを、しみじみと謳いあげている。

(映画ライター 服部香穂里)


第151回 "地球は女で廻ってる?"


 平成生まれの多部未華子が、平成最後の年に、しっかり者の娘をもつ母親役を演じているのも、様々な感慨が湧いてくる『トラさん 僕が猫になったワケ』。唯一の代表作の最終話を先延ばしにしたまま、5年間も鳴かず飛ばず状態の漫画家が、細腕ひとつで家計を支える妻の稼いだ金をつぎ込んだ競輪で大儲けした帰り道、交通事故で命を落とす。憎まれ口もたたくが父の一番のファンの娘や、菩薩のような良妻の優しさに甘え、家族を愛しつつも気ままに振舞ってきたダメ亭主は、実り乏しく終わった儚い人生を挽回するべく、成仏までの1カ月間、猫の姿で現世に留まることになる。実物の猫にひとの声をアテレコする形式をとらず、主演の北山宏光自ら着ぐるみ姿で"トラさん"を熱演することで、人間味あふれるコミカルさを醸し出すとともに、妻子のそばにいるのに正体を名乗れない半人半猫のもどかしさや切なさも、そこはかとなく伝わってくる。漫画の腕前まで披露する筧昌也監督のもと、ものづくりに情熱を注ぐスタッフやキャストが一丸となり、肉体は滅びても別のかたちで伝えたい想いを遺すことはできると謳い上げる、ハートウォーミングな良作だ。

 時代を超えて愛され続ける、ミュージカル映画の金字塔『メリー・ポピンズ』(64)から20年後を舞台に、オリジナルへの愛情と敬意を全篇に込め、新たに息づかせてみせた逸品『メリー・ポピンズ リターンズ』。大恐慌にあえぐロンドンの片隅で、住み慣れた屋敷からの立ち退きを迫られるある家族の前に、不思議な傘を片手に、メリー・ポピンズ(エミリー・ブラント、多くのプレッシャーを吹っ飛ばす好演)がエレガントに舞い降りる。自分にも他人にも厳しい彼女は、ドラえもんのごとく便利な小道具を大盤振る舞いする代わりに、想像という"魔法"こそが、新たな可能性を拓き何かを生み出すことにも通じると、柔軟な感性の子どもや、すぐに諦めてしまう大人たちをも鼓舞する。歌もダンスも得意なオールマイティの救世主の前に立ちはだかる、金しか信じない冷徹なヒール役に、知性派コリン・ファースを配することで、単なる夢物語のファンタジーでは終わらないリアルさも加味される。風とともに現れ、風とともに去り、逆境すらも好機や希望へと変えてしまうメリー・ポピンズ精神は、何かと世知辛い現代社会をたくましく生き抜くための拠りどころやヒントを、観る者にもたらしてくれる。

 稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦という多彩かつ豪華な3ショットが、キネ旬の表紙を飾る日がくるなんて……と、心躍る異色の共演も見ものの『半世界』。父への反発心から、逆に家業を継いだ炭焼き職人と、何か重いものを背負って突然帰郷した元自衛官、そして、意外にクセの強いふたりの緩衝材役をさりげなく担う、心優しき自営業者の同級生トリオが、"不惑"を目前に控えながら、年甲斐もなく大いにジタバタする。三者三様の充実のキャリアを育んできた個性バラバラな男優陣を、中学時代から三人をよく知る職人の妻役の池脇千鶴が、地に脚ついた演技で好アシストし、浮世離れした雰囲気すら漂う彼らから、片田舎のおっさん感を絶妙に引き出している。ひとはひとつの人生しか選べないが、各々の目の前に広がる"半世界"にも、新鮮な驚きや発見が常にある。近年は、1作ごとに新たなジャンルを模索してきた風の阪本順治監督が、自身のオリジナル脚本で原点回帰し、限りある生を精いっぱい享受することのかけがえのない意義を、ささやかな日常描写を丹念に重ねて描出した、味わい深い人間ドラマだ。

 ヴェネツィア国際映画祭で2冠に輝くなど、賞レースを席巻し続ける『女王陛下のお気に入り』。先日発表されたアカデミー賞のノミネーションでは、アン女王役のオリヴィア・コールマンが主演に、その幼なじみで実質的な権力を握るレディ・サラ役のレイチェル・ワイズと、サラの脅威となる野心家アビゲイル役のエマ・ストーンが助演の枠で選出されたが、トリプル主演ともいえる三女優が火花を散らし、女だけの異様な三角関係の、何とも醜悪で滑稽な在りようを生々しく体現する。痛風に苦しみ、だだっ広い邸内を自力で移動するのもままならず、17匹のウサギを我が子同然に愛でる女王。彼女への友情と愛情を変幻自在に操り、国をも思い通りに動かそうとするサラ。落ちぶれた現状から上流階級への返り咲きを狙い、二枚舌、三枚舌を瞬時に使い分けて這い上がるアビゲイル。攻守や形勢が目まぐるしく変転するスリリングなパワーゲームが、覗き見感覚をくすぐる奇抜なアングルの映像を通し、観客にも臨場感たっぷりに体感される。『籠の中の乙女』(09)、『ロブスター』(15)など独特のフィルモグラフィーにおいて、勝者なき不毛なデスマッチの顛末を、透徹した演出眼で見届けてきた鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が、スキャンダラスな史実に縛られすぎることなく、さらなる飛躍を遂げた注目作だ。

(映画ライター 服部香穂里)



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